生産者さんのご紹介
太田裕介
地域:佐賀県嬉野市
私が小学5年の時に父を亡くした私の父(太田 重喜)は、体は小学6年の時から当時使われていた有機燐剤で猛毒のポリドール、パラチオン、テップ、マラソン等の農薬散布に従事し、中学生の時に二度、その後20代前半までに三度も農薬中毒になりました。その後もランネート中毒を二度経験し、父は本来「薬として我が国で飲用された」とされるお茶を「農薬を使って作り、体がボロボロになって良いのか?」と考え込む日が続いたと言います。 当時も今も、茶の栽培暦には年間12~20回の農薬の使用が記されています。父は当時もなるべく使う量や回数を少なくしたいと考えて栽培していました。そんな中、1978年(昭和53年)8月に(株)日本緑健(現在は閉業)の当時の社長であった故永田 照喜治氏と知り合い、作物を丈夫に育てる為の話を伺いました。そして、今では一切の通常農薬(殺虫剤・殺菌剤・除草剤等)の使用をやめ、少ない肥料、本当に作物や土が求めている肥料を施用。病虫害の防除は栽培法の改良と安全な木酢や砂糖・海藻エキス・各種ミネラル資材・有効微生物資材を使い、約3ha余りの全茶園で無農薬栽培をしています。
